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我々も初耳だったのですが、法隆寺を作った聖徳太子が現在の宮大工の間でも「大工の神様」と呼ばれています。当時は日本に存在していなかった道具を百済から職人ごと呼び寄せて、日本の建築技術の礎を作ったからだといわれています。当時は「やりがんな」と言われるかんなで材木を削るのが主流だったようで、それもそのはず、森林から切ってきた原木をお寺の柱などに使えるようにすることそのものが大変だったからです。今でこそ原木を製材する会社があり、それらの会社から宮大工が製材された木材を仕入れることができるので、かんなも小さいものになったようですが、それでも細かい作業があるので宮大工が使う道具はとにかく種類が多く、かんなだけでも20も30も存在します。それらの道具を使いこなすには砥石の技術をマスターすることが不可欠で、まず素人は追いつけない技術です。技術というよりもミクロン単位を「観じる」感性が必要なわけです。宮大工が研いだ石でかんなを削ると非常によくわかります。研ぎ澄ます、の語源もなんと宮大工の仕事にあるんですね。

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